十人十色

こんにちは。

新4年470スキッパーの衞藤です。

 

ブログを書くのも3回目です。気がつけば3年の後期も終わろうとしていて、自分の所属する機械航空では来年からの研究室選びに向けて水面下での戦いが始まっています。教室でも今年はどこの研究室が人気なのかという会話がちらほら聞こえてきます。我らがヨット部の機械航空勢もこの戦いに加わることはできるのでしょうか、、

 

さて、今日はどんなことを書こうかな、と思ってiPhoneのカメラロールを開いてみたんですが、見事にヨットとご飯と製図の写真しかありません。笑

思えばこの半月はやるべきことが多すぎて、ほとんど遊びに費やせる時間がありませんでした。平日は製図と英語の課題とあとは面接に、残った時間はESのための自己分析、休日はヨット。一息ついたと思ったら今度はテストが始まります、、

充実していると言えば充実しています!が、さすがにちょっと息が詰まりそうなので今度どこかに出かけてこようと思います笑

 

そんな忙しい(?)日々の中で最近気づいたことがあったので、今日はそのことについて書こうと思います。今回のテーマは「みんな違ってみんないい」ということです。

以下の文章は長いのでまとめると、

「様々な意見の違いは個人の価値観の差からくるものであり、他人の意見を尊重するということは他人の価値観を受け入れ理解することにつながる」

ということです。これだけのことを長々書いているので時間がない方は下まで読まなくても大丈夫です!笑

 

 

 

僕はかつて、世の中の全てのものには何かしら優劣をつけることができると考えていました。テストの点は80点よりも90点の方が優れているし、通知表のAの数は多ければ多い方が良いですよね。数学は最終的な答えは1つですし、現代文だって解答は基本的に1つ、多くても2つ3つぐらいしかありません。

論破という言葉もあります。僕は世の中の様々な考え方にも必ず良い悪いを決めることができると思い込んでいました。ミーティングとは、みんなの意見の中からいかにして「良い」ものを抽出するか、そういう作業だと考えていました。

 

ところが最近になって、現実はそう簡単に割り切れるものばかりではないということを実感させられる出来事が多くありました。

同じ事柄に対してAとBの2つの案が出た。どちらの議論にも矛盾はないが、出てきている結論が違う。この場合何が違うのか、と考えてみると、どうやら出発している前提が違うらしい。それならどちらかの前提が間違っているのか?どうやらそうではない。正しい前提から出発して正しい議論を踏んでいるからどちらの結論も正しいが、前提が異なっているので別々の結論が出ている。

こうなるともうAとBに優劣をつけることは難しくなります。絶対的にAあるいはBのほうが正しいとは言い切れません。どっちも正しいからです。

ここでAとBとに差をつけるのが、個人の価値観、つまりその人が何を1番大事にしたいのかということだと思います。どっちも正しいんだけど、自分としてはこのポイントを優先したいから、その観点ではAの方がいいんじゃない?って感じです。

つまり、ある人が出した案を頭ごなしに否定することは、その人の価値観を否定することにつながるのではないか、と考えました。(もちろん、その案が正しい議論を経ている場合は、です)

今まで僕は自分と違う意見が出たときに「それは絶対間違ってるだろ」と思ってしまってそれを口に出してしまうタイプだったのですが、このことに気づいてからは少し考え方が変わりました。他人の意見を尊重する、という言葉の意味が少しわかったような気がします。

何をいまさら、と思う人も多いかもしれません。自分もなんで今まで気づかなかったのでしょうか、、

このことに気づいてから僕が劇的に変わったというわけではありませんが、前よりは人の意見に耳を傾けられるようになった気がします。ちょっとした成長ですね。これからもこういった気づきをできたらな、と思います。

長くなりましたがここまで読んでくださってありがとうございました。

冒頭でも述べましたがあまりにも写真がないので、ある土曜日の練習の時の1枚をはっておきます笑