主体性と価値観の共有

こんにちは、4年比嘉です。 

夏がやってきましたね。 

夏は暖かく冬は涼しい木造2階建ての私のアパートでは、座っているだけで汗がしたたり落ちてくるような暑さです。 

そんなサウナの中で最近読んだ本に、考えさせられることがありました。 

―主体的とは、自分の行動を自分の価値観に基づいた選択で行うこと。 

独断で簡単にまとめると、今の自分の状況は自分の決定と選択の結果であるということを忘れると、その場の状況や他人に流され、言うことやることがその時々によって違う人になってしまうよ、ということです。 

果たして今の自分は主体的に生きているか、ということはさておき、ヨットレースの中でも、これは試されているように思います。ヨットレースにおいて大きなセオリーはありますが、小さな事柄への対応はその人が重視することによって変わります。(何人かの社会人セーラーに同じ質問したときに、違う答えが返ってくることがあります。)対応が違うのに、「上位に入る」という同じ結果がついてくるのは、きっと決まった正解はなくて、その人がいかに自分の価値観の下でトライ&エラーを繰り返せているかによるものだと思います。 

この場面では、私はこう考えているからこうする、という決まったパターンがあることでより反省が次に生かせるものになります。また、ペアとのその考え方のすり合わせが不可欠です。こう考えだすと、ヨットって奥が深いなと思ったり。考えすぎだと笑われそうですが。 

話は変わりますが、価値観の共有という点で、ワールドカップのポーランド戦での日本の対応はプロの凄さを実感しました。1点を追う場面で、他力本願作戦を実行するのは誰にとっても苦しい決断だったと思います。その状況でも、全員が作戦の実行に徹することができたのは、「決勝トーナメント進出」という目標のための最善の手段が共有できていたからではないでしょうか。競技は違えど、サムライジャパンから学ぶことは多くありそうです。 

まとまりのない文章でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございます。 

北海道行ってきます。