仏キャラへの道のり

 

 

こんにちは。

 

 

 

ヨット部内の一部の人に仏キャラが定着してしまいそうになっている西島です。

 

今回のブログは、オフらしくゆるーい感じで書いてみました。最後まで読んでいただけると嬉しいです。

 

 

『仏』と聞くと、なんでも完璧だと思われて、勝手にちょっと大変だなぁと思っております。

 

 

でも、どうしてただの人間の僕がそんな風に言われるようになってしまったのかを振り返ってみました。

 

 

 

そこで、思い出した出来事が二つありました。

 

一つ目は、僕が5歳くらいの時に、親に、「お地蔵さんみたい!」と言われていたことです。

 

当時の僕は、5歳なりに末っ子として、兄姉を観察していました。

 

そして、当時の僕は、「手のかからないいい子だね。」と言われることに、とても喜びを覚えていました。

 

「親にそう褒めてもらうためには?」

 

僕なりに出した答えが、

 

「真面目な顔をしておとなしくじっとしていればいい!」

 

でした。

 

当時から兄が野球をやっている影響で坊主頭だったのと、生まれつき自分の年より顔が先行していることもあり、「お地蔵さんみたい!」と言われるようになりました。

 

こうして、5歳ごろから、『寡黙が美徳である』ことが僕の中で出来上がっていったのだと思います。

 

 

 

 

 

二つ目は、大学一年と、二年時に祖母から誕生日プレゼントで、『声に出して生かしたい論語70』という本を、もらったことです。

 

 

祖母は実家で一緒に暮らしていて、大変可愛がってもらっていました。

 

 

大学に入学し、「少しでも勉強になる本を読んでほしい」との思いから、誕生日プレゼントで本をくれるようになりました。

 

そして、誕生日に送られてきた本が、孔子の言葉が書かれているもので、祖母はそれを僕に本当に読んでほしかったのでしょう。二年連続、誕生日に同じ本を送ってくれました。

 

 

そして、その話を飲み会の場で言ってしまったせいで、その場にいた何人かに引かれちゃいました。

 

 

 

そうして、僕は今の僕になったんだと思います。

 

 

 

普段真面目な顔をして口数が少ないのと、祖母からもらった論語の本の話で、

 

仏キャラが定着しつつあるのです、、、

 

 

 

論語の本からひとつ好きな言葉を紹介して終わろうと思います。

 

 

 

 

『子曰く、学びて思わざれば、則ち罔し。思いて学ばざれば、則ち殆うし。』

 

 

 

 

簡単に言うと、バランスが大事ということだと思います。

 

 

知識を蓄えても、自分で考えを巡らせないと、どうして活かしていけばいいかわからない。

 

考えてばかりいると、どうしても自分の考えに固執してしまう。常に、情報を取り入れていくことが大切である。

 

ということだと解釈しています。

 

 

何事もバランスが大事なようですね。

 

 

 

写真は、お地蔵さんになる前の3歳の僕です。

 

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。