この生活が教えてくれたこと

こんにちは。4年マネージャーの末永です。

 

全く4月を感じられないまま月の半分が過ぎてしまいました。

そろそろ家にこもり続けることに限界を感じている人も多いと思います。

 

今日は最近思ったこと、感じたことをつらつら書いていこうと思います。

随筆です。超短編エッセイです。えっせいっぽくぜひかいてみたお付き合い下さい笑

 

 

『見えない保証』

この生活が始まって自分は恵まれた環境で生きていたんだなと思いました。

家族に会いに帰省したり、友達とカラオケで楽しく歌ったり。

これまで普通にしてきた行動が命に関わる事態になるなんて、今まで考えたこともありませんでした。

 

ふと、世界の国々のことを考えてみました。

 

もしかしたら、医療面で十分な体制が整っていない発展途上国などでは、先進国ではよくある病気であっても、今のコロナのように命に関わる大流行になっていたのかもしれないなと思いました。

 

そう考えると、自分が知らなかっただけでこれまでがいかに健康や安全が保証された生活だったのかと気づくことができました。

恵まれた環境が当たり前ではないと感じました。

 

 

『技術でも満たせないもの』

家で1人だと気持ちが落ちてしまう。

誰でもいいから直接会って話したい。

 

似たような言葉をいろんな人から聞くようになりました。

こんなにSNSが発達してどんなに遠くの人とも一瞬で繋がれる世の中でも、画面越しのコミュニケーションでは満たされない感情があるんだなと思いました。

 

SNSには地球の裏側に住む人と繋がれるという魅力的な可能性があるにも関わらず、今はそれよりも隣の家に住む友達に会いたいと思ってしまいます。

直接人と会うということは他の何物にも代えられないことなんだなと感じました。

 

 

『ジャイアニズムのすゝめ』

人は自分のものが無くならないといつまでも他人事だと思いました。

自分の国、自分の県、自分の市、自分の周りの人。

自分を含めて、”自分の”がつかないと当事者意識を持てないんだなと思いました。

”自分の”がつかない領域でのことを真剣に考えることができれば、いろんなことが未然に防げたり、後悔しない選択をすることができるんじゃないかと思いました。

 

俺のものは俺のもの。

お前のものも俺のもの。

 

一見、他人のことを考えていないようなこの言葉が、「もの」を「こと」に変えるだけで他人事な考えを見直すきっかけになるのではと思いました。

 

 

以上の3つが最近私が思ったことです。

でもこれらも、この生活がなかったら考えるに至らなかったことで、それを知らないまま人生を過ごしていたかもしれません。

この期間に感じることはそれぞれあると思います。

どんな状況でもその時感じたことを経験として今後大切にできたらいいなと思います。

 

とりとめのないことばかりでしたが、今回はこれで失礼いたします。

 

 

写真はこの生活が始まってから使用頻度が増えたアイテムです。

文章を打っては消して、打っては消してと繰り返しているとき、ふと目に入るコップの言葉に癒されます。