余計な一言

余計な一言

 

おはようございます!

いつもブログを見て下さったり、応援して下さっている皆様、ありがとうございます。

九州大学ヨット部3年の井手です。

 

気づけば4月も最終日を迎えたようで、とても驚いています。

皆さんはこの1ヶ月どのように過ごされましたか?

 

私は幸いにも色々とやることがあって、今までで1番あっという間に感じた1ヶ月でした。(学校に行かなくてよかったのが何より幸せでした)

 

……おっと、一言余計でしたね。

感染リスクが減ったっていう意味でですよ。

もちろん。ん、何ですか?(笑)

 

 

話を戻します。

タイトルにもある通りですが、今まで皆さんが過ごしてきた中で、「この人一言多いな〜」と思った経験はありませんか?

 

私もよくやってしまうんですが、「それ言わなくてもいいやん!」みたいな"余計な"一言ってありますよね。

 

「髪切ったん!でも前の方がよかったな〜」

「わ、テストあるんや、頑張ってね!まあ私はないけど(笑)」

「マネージャーやってるんや!へえ、自分がプレイしないのに何が面白いん?変わってる」

 

こういう言葉になぜイラッとするかと思って、辞書で調べてみると

 

『必要以上にあって邪魔だったり、不要だったりするもの』

 

そうです。まさに必要ではないのです。

私もそういう人を見るたび、「ああ、必要最低限のことだけ喋ってれば損はないだろうな…」とよく思っていました。

 

特に家ではその思考が存分に発揮されて、実家に住んでいるんですが、家族とはいつの間にか必要最低限の会話しかしていませんでした。

 

 

どうせいつでも話せるしな、と。

 

 

そうして過ごしていた先月半ばのある日、いつものように家に帰るとなぜか祖母が見当たりません。母親も、仕事から帰ったはずの姉もいません。

 

おかしいと思いながら夜遅くまで待って、帰ってきたのは母と姉だけでした。

 

「あれ、おばあちゃんは?」

 

祖母が長年の心臓の持病を悪化させて、いつどうなるか分からない状況だと伝えられた時は、理解するのに少し時間がかかりました。

 

その後急いで病院に行きましたが、免疫が低下している祖母には面会できないと弾かれてしまいました。コロナ対策だそうです。

 

 

病室の外で、ただ容態が回復するのを待つのみだった時本当に悔しくてたまりませんでした。

もっと喋ればよかった、もっとありがとうって言えばよかった、もっとおばあちゃんのご飯おいしいって言えばよかった、もっと大丈夫?って聞けばよかった、もっと…

 

必要最低限のコミュニケーションしかとってこなかった自分を心から恨みました。

 

なんとか一命は取り留めて、現在入院している祖母ですが、相変わらず面会は出来ない日がほとんどで、出来てもたった5分です。

それでも、きっとよくなると信じています。

 

 

前置きが長くなってしまいました。

 

皆さんの周りにも、当たり前のようにそばにいてくれている身近な人が、沢山いると思います。

家族、友達、先輩後輩、お世話になってる方々。

そういう人達に、是非"余計な"一言を伝えてあげてください。

 

いつもありがとう、ご飯おいしいね、あなたといると凄く楽しい…何だっていいです。何だって言い過ぎなことはありません。

自分が思っているより遥かに、自分が思っていることは相手に伝わっていないものです。

 

当たり前かのようにいつもいてくれている人は、当たり前にそこにいるわけではありません。

正直誰もがいつどうなるか分からないこの状況だからこそ、あなたの"余計な"一言はとても大切で、とても貴重なものになると思います。

 

『普通より多いこと。普通より程度が上であること。』

 

辞書にもう一つ意味が書いてありました。

普通ではないこの状況なら、今まで普通と思ってきたことと、違ったことをやってみていいんじゃないかと思います。

せっかくのチャンスです。

 

私もおばあちゃんが元気になったら、うるさいくらい目一杯喋ろうと思います。頑張れ、おばあちゃん。

 

 

大変長く、朝から重いブログとなってしまって申し訳ありませんでした。

ブログに書くかどうか迷ったのですが、自分への戒めの意も込めて、このブログを書かせて頂いたのでお許しください。

 

 

写真は、部活でやっている"余計な"一言で溢れているチャットです。

新しく始めた試みなので発展途上ですが、部員の皆の力で良いものにしていきたいです。

 

 

最後まで見てくださり、本当にありがとうございました。

これからもよろしくお願いします。

 

失礼いたします。