お世話になっております。
元レース技術部長の伊藤仁です。
高校から始め、高1の時に見た小戸インカレに憧れて続けてきたヨット生活も終わりを迎えました。
軽くですが4年間を振り返ってみたいと思います。
1年生の頃はありがたいことに配艇に組み込んでもらえたのですがハイクアウトが辛すぎてただ必死に毎日ヨットに乗っていました。
2年生ではスキッパーに転向し、初めてのことだらけで悪戦苦闘しました。どうやら僕にスキッパーの才能はあまりなかったようですが、酒井ととった九州インカレ個人戦の1上3位はとても良い思い出です。
3年生になり、再びクルーに転向し、足立にコントロールロープ等様々なことを教えてもらいました。同時にコースも1から勉強し、やっとヨットというものを少しずつ理解し始めました。
蔵藤と組み、色々自由に楽しくやらせて貰いました。
ただ出場させてもらったインカレでは先輩達についていくことに必死でした。自分にもっと実力があればと悔やみました。
全日本スナイプでは何度かシングルの位置にいたのに取り切れなかったのはとても悔しかったのと同時に学びがとても多い大会でした。
この大会が転機となった気もします。
4年生になり、レース技術部長に就任し、どうしたら勝てるのか先輩方を含めて夜遅くまでひたすら話し合いました。お忙しい中付き合っていただきありがとうございました。
蒲郡インカレということでとにかくフィジカルだと思いトレーニングの負荷を勝手にあげました。
1日の練習時間も大幅に増え、2年生は特に大変だったと思います。
皆大きな故障をせずによくついてきてくれてありがとう。
ヨットを全く知らなかったかなでと組んだ時はとても楽しかったです。かなで来年は全国で前を走れよ。かなでならいけると思う。
再び蔵藤と組むことになり、いい時も悪い時もありました。インカレ最終レースで2人でシングルをとれて嬉しかった。ただもっと前を走れたとも思うし、走りたかった。蔵藤2年間組んでくれて本当にありがとう。
全日本インカレが終わって数日立ち、少しずつ引退した実感が湧いてきました。
嘘です。
正直引退した実感は全くありません。
また週末に皆と朝7時からヨットに乗っている気もするし、整備に行きたくもなります。
ただ海に浮かんでるだけで終わった最終日、早稲田大学が喜んでいる姿を見ても、悔しいとは思いましたが、涙は全く出てきませんでした。
引退挨拶で泣いている同期が正直羨ましかったです。最終日の出艇前は多分今日泣くんだろうなと思っていただけに尚更でした。
せめてレースをして終わりたかったというのが本音です。多分週末に朝起きない日が続き、やっと実感してくるのかなと思っています。
今年1年間の自分のテーマとして「インカレ最終レースを後悔なく迎える」を設定していました。
やってきたことに後悔はありません。
しかしただひたすらに悔しい。
たらればを言えばきりがありません。
ですがこれが現実です。
僕たち94代にはもう挽回するチャンスはありません。だけど後輩達にはまだチャンスがあります。
引退挨拶でも言ったのですが、とにかく考え続け、素直に話を聞き、試し続けた人が伸びます。
動き出しは早い方がいい。
力になれることはいくらでも協力するので頼ってください。
来年こそは悲願を達成してください。
最後になりますが、いつも見守ってくださった平畑監督。ルールなど様々なことを教えてくださった岡部会長をはじめ、帆友会の先輩方、ヨットだけでなく様々なことを教えてくださった先輩方、苦楽を共にした同期、活気をくれ色々な刺激をくれた後輩達、自由に活動させていただいたハーバー関係者の皆様、そして様々なわがままを言って迷惑をかけた家族。本当に様々な方のご協力があって4年間活動することができました。
この場を借りて御礼申し上げます。
本当にありがとうございました。
未熟者ですが今後ともよろしくお願い致します。
なんだか未練がましいブログとなってしまいましたが、これが今の率直な気持ちです。
ありがたいことに僕にはまだ全日本スナイプに出場するチャンスがあります。94代の活動が間違っていなかったことを証明する最後のチャンスです。足立とか死ぬ気で取り組んでいきます。
末筆にはなりますが、九州大学ヨット部で活動できて本当によかったです。今まで誠にお世話になりました。
長文となってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございます。
失礼致します。
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