肩書き

『肩書き』

おはようございます。
4年の下川です。

ついこの前ブログを書いたと思ったらもう僕の番が回ってきました。

平日ブログを書くようになって、実際に4年生になったんだなぁとしみじみ実感しているわけですが、同時に4年生になると最上級生という肩書きがついたり、〇〇長や〇〇リーダーといった責任のある役職をもつようになります。

そもそも肩書きって何ですか。4年になるとそんなに偉くなるんですか。リーダーってそんなにすごいんですか。

なんかロス〇ワンの号哭の歌詞に出てきそうなセリフなんですが、ちょっと考えてみようと思います。

最近の2.3年生のブログが「理想の先輩像」というテーマで後輩たちが書いてくれていますが、では「理想の4年生」とはどうあるべきなのでしょうか。

以前、某後輩マネとどういう人がリーダーになるべきなんかなーっていう話をした時、すごく興味深いことを言ってくれました。

「感情的になりすぎるとそこで思考停止してしまう。でも理論的すぎると実際に人の心の動きに沿っていないこともある。」

「情でこの人はこう思っているんだなと信頼を勝ち得た上で初めて論理が作用する。」

要約するとこんな感じですが、感情的になりすぎてもそれではチームを統率することは出来ないし、逆に情が無さすぎるとそれはついていきたいと思えるチームではない、ということですね。

4年になれば様々な肩書きが増えて、あらゆる決定権が4年生に委ねられます。
もちろん、全ての意見を取り入れて議論しようだなんて無理があります。だから、色んな意見をまとめて最終的に4年が決断するということになります。

勝つために手段を選ばずでは無いんですが、結局は「勝つ事こそが正義」なのでそのような決断が時には正しいのかもしれません。

ですがそのような決断に対して、
『リーダーが』こう決めたからこう従う
のではなく、
『この人が』こう決めたからこう従う
そう思わせるべき人がリーダーであるべき
だと思います。

そこに肩書きなんて必要無いと思います。
4年だからとか、リーダーだからとか、そんなことじゃなくてまずは人として、しっかり尊敬されるべき器になってから初めてそういった物事が言えるようになると思います。

僕は幸運なことに(?)そのような肩書きを持っていませんので、そんなに物事を決定するような立場の人では無いのですが、まだ尊敬されるべき人にはなれてないです。

ヨット部には学年を問わず、技術云々では無く、人として尊敬する人がたくさんいます。時には自分よりよっぽど先輩やんって思うくらい立派でかっこいい後輩がいます。もっと自分も頑張らなくちゃって思うと同時に、そんな後輩を誇りに思っています。

写真は今年のスナイプリーダーの奥田くんが2年生だった頃の写真です。
ヨットの技術も人間性も素晴らしく、周りからも尊敬されていて、まさにリーダーとよべるような人だと思います。

僕も尊敬されるような人になりたいです。

それでは失礼致します。